
1971年3月生まれ。 | |
1993年 | 椙山女学園大学家政学部被服学科卒業 4年生の7月に結婚。卒業後、渡米。ミシガンの州立大学に編入し卒業。 |
1995年 | 帰国。東京にて、IT系ベンチャー企業に就職。 |
1997年 | 主人の仕事の関係で仙台へ。フリーランス翻訳業を開始。 |
1998年 | 長男出産。 |
2000年 | 次男出産。 |
2011年 | 東日本大震災。家族は全員無事だったけれど自宅マンションは半壊。電気なしが4日間、水なしが2週間、ガスなしが2か月。子どもたちと2か月ほど名古屋の実家に避難。仙台に帰宅後、英語窓口として主に石巻市にてボランティア活動を開始。 |
2014年 | 宮城県内の被災地のストーリーを英語と日本語で著した『3・11つむがれゆく絆The Bonds of Love Left by the Tsunami』 |
写真は震災直後のものです。翌日から1週間、毎日、雪の中を3-4時間並んで日用品を買っていました。
水がないので雪をとかして使おうと思って子どもたちに運ばせたら、家の中が寒すぎてまったく溶けずに南極状態になってしまいました。
震災から4年が経とうとし、日本国内だけでなく世界でも震災は福島の原発事故としてしか認識されていないのでは、との思いが強くなっています。そうしたなか、宮城に関する英語での被災者目線での情報が少ないと強く感じ、かわいそうなだけじゃない、力強いお友達のお話を集めて本にしました。
震災のドキュメンタリー映画のお手伝いがご縁でサッカーチームの通訳をするようになったり、思ってもみなかった方々と親しくなれたり、絆って大事だなと感謝する毎日です。
公立高校出身だったので初めはとても戸惑いましたが、自分の人生が大きく幅のあるものになったのは椙山大学で4年間を過ごせたおかげだと思います。有意義な気づきを与えてくださった同級生のみなさんに感謝でございます。
半年前、被災地・石巻のギャラリーで「椙山女学園大学」と書かれたDVDを見つけました。まさか東北の被災地で母校の名前を目にするとは 思わなかったので本当にびっくりしました。栃窪先生の研究室の皆さんが震災後、定期的に石巻に足を運んでずっと映像を撮りためてくださっていたことを知ったときは感激で胸が熱くなりました。母校を本当に誇らしく思います。早速、そのギャラリーの方を通じて栃窪先生にご連絡させていただきましたところ、私がお手伝いしているテイラー・アンダーソン記念基金についての映像記録も作成してくださいました
(http://youtu.be/0g4FXDSFels)。本当に感謝でございます。
今の自分に迷いや不安があっても、目の前にあることに一生懸命に取り組んでみてください。必ず道は開けます。